斎藤利郎著『老年の人間の生き方』を連載します。 本書は、NPO法人家族のこころのケアを支援する会主任教授である斎藤利郎が、電話相談者のための研修にて発表した講演録に加筆修正したものです。

老年の人間の生き方 その11

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死ぬこと
 さて、話していいのか、あるいは話さない方が無難かと迷いながら、やはり話します。
 妻の死後、作家であり、『夏目漱石』で高い評価を受けた評論家であり、大学教授であった江藤 淳さんが自殺しました。1933年生まれですから66歳、その人生をみずから終わりにしました。巷の人びとは、その人生をさまざまな想いでみつめ語ります。自殺の直前に書いた『妻と私』の帯紙に、文藝春秋社の編集者は「愛とは、かくも苛烈なのか︱自ら覚悟して逝った著者の慟哭の手記」と記しました。伴侶と死別するという現実があります。でも自分の死を自分で選びとることに、わたしは同意しません。


 江藤 淳さんは、自分の死を、「......恐らく家内の絶命とともに、死の時間そのものが変質したのである。それはいまや私だけの死の時間となって、現に生理的に私の身体まで脅かしはじめている。そういうほとんど絶望的な自覚が、いままで一度も感じたことのないこの深い疲労感の底には潜んでいた」と、死への傾斜を話します。たしかに伴侶との死別が「うつ」状態をきたらせ、身体的な変化や症状を生起します。老年の人間の季節は、過去にくらべて厳しいかもしれません。それにしても、自分の誕生を自分の意志によって左右できないように、人間の生命を、そのような「とき」がくることも予想できますが、それでもなお、みずから奪うことは罪です。
 最後に、老年の人間について、どうしても述べなければならない現実があります。その現実とは、負の現実であり、老年の人間にまとわりつく「喪失」という感情であり、「悲哀」という現実です。老年学の専門家である井上勝也さんや長谷川和夫さんによれば、喪失には、七つほどの特徴があります。

(1)身体的・精神的な壮健の喪失です
 長年、よく働いてくれました。蒸気機関車D51がさいたま市の鉄道博物館にその車体の疲れを癒しているように、老年の人間も疲れたからだとこころを横たえるところが必要です。

(2)経済力の喪失です
 年金だけが頼りの定年退職という老年の人間も多いと見受けます。退職金を年金のかたちで支給する企業もあるそうですが、当人が亡くなると支給されなくなりますので、「夫に死なれたら大変だ」とばかりに、夫の身体を気遣う女性がいるといいます。仲良くね!

(3)家族や社会とのつながりの喪失です
 会社を去るときの喪失感は大きい。「帰りに一杯やるか」がないのです。さらに配偶者との死別。これは非常に苦痛をともなう喪失で、最も「うつ」になりやすい悲哀です、寂しさが根源にあります。

(4)知的能力の喪失
 これには疑義があります。述べられているのは、「記憶力、知的反射能力の衰え」ですが、知的能力とは、「物事を創造する力」ですから、記憶力が衰えてもメイ・サートンや大江健三郎さんのように新しいもの、たとえば小説を書く、評論を記述する、また小澤征爾さんのように新しい演奏活動に挑戦する能力を発達させます。つまり、記憶なんてどうでもいいのです。問題は、ものを創り出す能力です。

(5)生きる目的の喪失です
 仕事を生きがいにしてきたひとは、それが失われる、というわけですが、仕事を生きがいにしているひとはいるのでしょうかね。わたしは「頼れる大人の会」(東京青年会議所の外郭団体)のメンバーたちとカウンセリングの勉強会をしていますが、どうもこの考察は、過去のもののようです。

(6)容姿の美しさ、若々しさの喪失です
 白髪、しわ、たるみ、しみができる、禿げる、歯が抜ける、腰が曲がる。それがどうした、という老年の人間もいるでしょうね。

(7)自己存在の意味です
 恐れ入ったね。専門家は「子どもが自立して出ていくと、親の役割と責任は終わった。定年退職により、会社人間としての役割を終えたことは、同時に、家族や社会から必要とされなくなった。」(『よくわかる高齢者の心理』近藤勉)。こうした社会通念が老年の人間を、さらに孤独にし寂しくするのです。

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このページは、adminが2010年4月14日 09:28に書いたブログ記事です。

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