斎藤利郎著『老年の人間の生き方』を連載します。 本書は、NPO法人家族のこころのケアを支援する会主任教授である斎藤利郎が、電話相談者のための研修にて発表した講演録に加筆修正したものです。

2010年4月アーカイブ

これまで話したことに、付け加えることはありませんが、最近、考えていることを「おわりに」とします。

「うつ」は、うつうつと......
 老年の人間の「うつ」は、わたしのファミリー・セラピストの経験によれば、こうした喪失が(寂しさと同意語として話しますが)、根源にあるように思います。認知症についても医学的な脳の機能障害にいたるプロセスには、喪失が深く関係しているように感じます。老年の人間の喪失で、特に重視したいのは、伴侶との離別と経済的な喪失のようにみえます。もちろん例外もあります。わたしが出会ったひとりの女性がこんなことを話してくれました。退職後まもなく夫が身体をこわして入院しました。そのとき彼女は、夫の退職金を含めた夫婦のあらゆる預金を計算して、「この人の入院がどれほど長期化するかわからない。決して無駄使いはできない」と、ケチに徹しました。ところが入院があまり長期化せず夫が亡くなられたのです。夫の死後しばらくして、彼女は「ああ、このお金は全部わたしが使ってもいいんだ」と気づきうれしくなった、というのです。

死ぬこと
 さて、話していいのか、あるいは話さない方が無難かと迷いながら、やはり話します。
 妻の死後、作家であり、『夏目漱石』で高い評価を受けた評論家であり、大学教授であった江藤 淳さんが自殺しました。1933年生まれですから66歳、その人生をみずから終わりにしました。巷の人びとは、その人生をさまざまな想いでみつめ語ります。自殺の直前に書いた『妻と私』の帯紙に、文藝春秋社の編集者は「愛とは、かくも苛烈なのか︱自ら覚悟して逝った著者の慟哭の手記」と記しました。伴侶と死別するという現実があります。でも自分の死を自分で選びとることに、わたしは同意しません。

とうちゃんは食事中
 老人漫画の天才だ、と美人画の杉浦幸雄さんをして言わせしめた西澤勇司さんの漫画は、老年の人間とは、かくもたのしく勇ましく、そして、ひょうひょうと生きているのか、と感じさせます(『老いは愉しい!』都市文化社:1999)。精神科医の斎藤茂太先生が西澤勇司さんの漫画を観て「いいヒントがたくさんでています」とおっしゃいますが、まったくそのとおりです。現役時代のように生をたのしみたいなら、屋台を路上にもちだせばよい。退職してからどうも時間のけじめがつかんなあ、と感じたら、古道具屋でカチンコを買ってきて、「ただいま、帰宅!」とやったらいい。孫や嫁が自分のイメージと相当に異なっていても、「どこで遺伝子が組みかわったか」、「働き者だよ、息子の嫁は!」と、言えばよい(漫画参照)。これが、この講義の最初の部分で話しました、発想の転換です。己のアイデンティティをつらぬく方法です。でも、どうすれば、こうしたうきうき感とたのしさを享受できるのか、が問われます。多くの老年の人間は、たぶん皮肉な薄笑いを顔面に浮かべ、「まあ、ご勝手におやりなさい」と、言うかもしれません。それでも、まあ、いいか、と思うのですが、わたしの経験を話すのも一興かと思います。

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