斎藤利郎著『老年の人間の生き方』を連載します。 本書は、NPO法人家族のこころのケアを支援する会主任教授である斎藤利郎が、電話相談者のための研修にて発表した講演録に加筆修正したものです。

老年の人間の生き方 その7

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かまってほしい
 どうして「ひまつぶし」をして、子どもや嫁、若い人びとから敬遠され、うとまれることをあえてするのか、とい疑問がわきます。この疑問には、根源的な理由があります。時間の構造化という考え方には、他の人びとと触れ合いたい、「かまって欲しい」、他の人を「かまいたい」というわたしたちの基本的欲求が根本にあります。

 こういう基本的欲求を「ストローク」と表現した先生がいます。ストロークは、英語の動詞ですが、「なでる」とか、「さする」を意味します。ひととひとのふれあいのなかで、相手の存在を認め、その認めたことを相手に伝える行為である、と言ってよいでしょう。もっとくだけた言い方をすれば、無視するのではなく、「かまう」ことであり、「あなたを知りたい」というかかわりになります。自分から積極的に「ひきこもる」、ひとりでリラックスする時間、空想したり自然と対話したり、また自分自身と対話する、人間のありかた、難しくいえば人間性を回復するという社会的・心理学的な行為を例外とすれば、人間は、他の人びととのかかわりなしには生きられないと、わたしは考えます。

 時間を構造化するということは、どのようなストロークを交換するかということに尽きます。すでに述べましたが、自閉的な「引きこもり」とは少し異なりますが、人間は、ストロークなしでは生きられません。それなのに老年の人間には、このストローク交換の機会が極端にすくなくなるのです。しかもこれが老年の人間の問題です。

逸脱行動
 子どもは、両親に「かまって」もらえない、ストロークをもらえないと、逸脱行動によって、両親の姿勢を強引に自分の方へ向けさせようとします。老年の人間も子どもや嫁、他の人びとにむけて「こっちを向け!」と叫んでいるわけです。無視されたくないのです。なんとも悲しき姿です。余人は「悲しき性」と呼ぶそうですが。

 この「こっちを向け!」という叫びが、さまざまにかたちをかえて人びとに向けられます。つまり、「みえてきた」、家族や若い人びとから「あら捜し」とでも言われそうな「見えてきた」事柄を、不適切なことばや表現で発するというわけです。子どもの逸脱行動と変わりません。これじゃ周囲にいる者は、たまったもんじゃありません。まるで駄々っ子です。無視されたくなければ、もう少し反応を変える必要があるのですが......さて。

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このページは、adminが2010年3月10日 10:58に書いたブログ記事です。

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