斎藤利郎著『老年の人間の生き方』を連載します。 本書は、NPO法人家族のこころのケアを支援する会主任教授である斎藤利郎が、電話相談者のための研修にて発表した講演録に加筆修正したものです。

2010年3月アーカイブ

何がめでたしか、定年後の男女は新・婚
 いろいろ話し合っているうちに、興味のあることが分かりました。子育て、教育、それらを支えるための活動と収入、家の購入とその維持費など。それらの役割と機能を夫婦で分担して生活している間に、人生に関するお互いの考え方や姿勢に相異がひろがっていた、ということです。家族ライフサイクルの考えからみれば、この時期は、肉体的な衰えに直面して、自分自身と伴侶の行動や興味を持続させることへの配慮と、新しい社会的な役割や一族の中での自分にできる新しい社会的な役割を発見することですが(E.H.エリクソン)、「自分自身と伴侶の行動や興味を持続させる」のは、相当な犠牲が必要なのでは......と感じます。わたしは、老年の夫婦は、新・婚なのではないか、と考えます。新しい視点でお互いを理解する必要があるのではないでしょうか。その考えがセラピーにも影響を与えるように思います。

楽しくない結末

寂しいと言えない
 わたしたちは、月に一度、カウンセリング(セラピー)を学習しあっています。この2・3年は、ナラティヴ・セラピーの技法習得に努めていますが、その仲間に定年退職の夫と生活を共にする女性が何人かいます。そこで定年の夫が話題にのぼります。「今朝、駅まで送ってくれるというのよ。うれしかったわよ、そりゃ。でもね、車を降りるときに、『おい、何時に帰るのお』ときくのよ。もうガッカリ。わたし、『終ったらかえるわよ』。どうして『ジャ、気をつけてな』と言えないんでしょうかね」と。こういう夫を「濡れ落ち葉」というんだそうですが、「キミが出かけるとさびしいねえ」と、言えないんですね。日本の男性ですかね。

かまってほしい
 どうして「ひまつぶし」をして、子どもや嫁、若い人びとから敬遠され、うとまれることをあえてするのか、とい疑問がわきます。この疑問には、根源的な理由があります。時間の構造化という考え方には、他の人びとと触れ合いたい、「かまって欲しい」、他の人を「かまいたい」というわたしたちの基本的欲求が根本にあります。

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